物事を疑い関心を高める事の意義
みなさん、こんにちわ。
びょーどるです。
今回は
「 物事を疑い関心を高める事の意義」です。
堅苦しいタイトルですね・・・
キャッチーじゃないな。
まぁいいとして、
物事はある程度決められていて
常識と言われている誰かが
勝手に決めつけたものをいいます。
我々は知らず知らずのうちに
物事を決められています。
例えば、
僕はテレビ見ませんが、
アイスやそうめんの
コマーシャルが流れたら
食べたくなって専売売り場に買いにいく。
一旦、
自身の意思で購入しているようで
実は自身の意思で購入していない。
つまり誘導されていることに
気づいていないケースが
多いのではないでしょうか?
確かにこの時期は特に
冷たい食べ物を食べたくなるのは
本能的に仕方がない事です。
しかし、今一度思い返して欲しいのです。
「本当にこの商品を買いたいのか??」
いざ購入してみて改めて考えてみると
これいらないじゃん!みたいな事、
過去にございませんか?
我々は誘導されているのです。
特にメディアから流れる情報は、
いいように且つ面白おかしく
流れます。
真実をひた隠すという観点もあるかと
思いますが、
先ずメディアは商売の為、
クライアントの商品を良く見せて、
悪口は言わない。
それは当然の事だと思います。
例えば
今回の東京都議会選に関して、
前評判として総理大臣の支持率を
水増しして色々問題あっても
支持率は低下していないような放送をします。
何故なら、メディアに広告費として
お金を出しているからです。
(朝日は例外として)
メディアとしては
視聴率など上がって
スポンサー企業が増えて、
広告収入が入ればいいだけです。
真実は二の次です。
僕は以前、
勤めていた中小企業で、
某メディア企業からのイベント案件で
濡れ着を着さされた経緯があります。
些細なことでしたので、
特に大事にはなりませんでしたが、
真実とはかけ離れた懸念事項を
上げられました。
その時に心底思いました。
「メディアは真実を語らないな!」
僕は、上記の免疫が
今現在も継続している為、
物事を疑いうこと
つまりリテラシーを高める事の
意識を得ています。
これは慣れるまで
時間がかかるとは思われます。
僕も完成系ではない為、
さらに磨きをかけて
真実に導く力をつける事を
惜しみません。
つまり自身で調べたり
知ろうとする姿勢を崩さない事。
僕は元々、
勉強しなくて遊んでばかりいた、
頭の中が空っぽの青年だった為、
物事が入ります。
だからこそ声を高らかに言える事があります。
誰でも意識などを研ぎ澄ます事が出来る。
一人でも共に共有して
成長できたら幸いです。
今回はこれまで。
ありがとうございました。
びょーどる