奴隷という名の企業勤めの飼われ犬
みなさん、こんにちわ。
びょーどるです。
今回は
「 奴隷という名の企業勤めの飼われ犬」
というテーマです。
我ながら、
またキツいタイトルをつけましたね。
精神的にSな感じが垣間見えます。
こんな発言をすると
俺は(私は)
飼われているんじゃない!
好きでこの仕事を選んだんだ!
やりがいをもって取り組んでいる!
将来性があるから選んだ!
会社の理念に共感したから入社したんだ!
などなど想いをぶつけてくるとは
思います。
かくいう僕も
そんな感じのタイプの人間でした。
厳密にいうと未だ、
僕は雇われている身の為、
企業の飼い犬ではあります。
ただ、一つ違う所がございます。
それは何か・・・??
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
首輪をワザとつけています。
これは何かというと、
企業に属している人は
ほとんどの人は飼われているという
認識が薄い方々が多いと思われますが、
企業側からすれば
従業員は従順なる飼われ犬。
つまり奴隷なのです。
奴隷は元々、
ローマ時代から存在する身分で、
時間を切り売りして労働に勤しみ、
その対価を得ていたと言われています。
その歴史に照らし合わせると、
現代の企業勤めというのは
奴隷生活そのものなのです。
この特色として働いている人達が
使われている、
飼われている、
そういう概念が
希薄している方々が多い事です。
まぁ、
思想の自由や職業選択の自由、
日本国民に保障されている自由なので、
僕が思っている物事を
押し付けるつもりはないです。
なにせ
物事の考え方を変えるのも自由。
変えないのも自由。
個人の自由です。
しかし、
時間は有限であり、
自由というのは責任があります。
なので、
「あの時、ああすれば良かった」と
思った頃には残り人生わずか・・・。
なんてこともチラチラ目を掠めませんか?
僕もそうですが
月日が経つのはとても早いです。
気づいたら36歳を迎えてました。
なので、
自身は今後どうしたいのか?
どういう生き方をしたいのか?
自身の人生でどういう事ができるのか?
今一度、自身に問いかけてみては
いかがでしょうか?
僕はワザと首輪をつけていると
申しましたが、
これには理由があります。
僕は両親が離婚して
現在、母親と暮らしています。
元々、母親は1棟アパートを経営して
今後もアパートを所有したいとの事で
銀行にお金を融資する時に保証人の為に
敢えて企業に勤めています。
まぁ、
現在契約社員の為、
銀行から初回の融資を
お願いする時に
契約社員だと
先ず門前払いでしょうが、
以前、融資をした時の
経歴があるので、
同じ銀行から融資を受ける時は、
ある程度融通がきくようです。
(もちろんこの限りではないです。)
銀行としてもお金を貸して
利息を稼ぎたいでしょうから。
とりあえず
企業に勤めていたらいい。
当時の僕は
完全なる社畜という名の会社員で、
勤めていた会社が信用力があり
(無借金経営ときいた事があります)
そういった経緯をとって
保証人としても問題なかったそうですが。
(銀行からしたら
債務不履行になったら
保証人に払って貰えばいいだけですから。)
ただ、
ほんと手間でしたけど
保証人の書類提出や添付書類・・・汗。
一度、
融資を受けて信用がつけば
こんなものなんですね。
曖昧なもんだなぁ・・・笑。
こんな事を想定して
敢えて勤めています。
目的の為にです。
あと一つは、
僕は最近までに
職業訓練を受講していた為、
その後の就職状況を
報告しないといけない為、
上記2つの為ですね。
目的果たせれば切りますよ。
なんせ野生なんで・・・笑
そんな感じで
企業を逆手にとって使う
そんな感覚でいいのではないでしょうか?
企業の飼い犬ということは、
首輪がついている訳です。
企業オーナーのさじ加減で
一時的に首輪を外してくれる事も
あるかと思います。
例えば、社員旅行とか
仕事納め、や年末年始休暇とか
豪華なご馳走を与えるという名の
賞与を渡して
飼い犬を機嫌よくさせてまた首輪をつけて
馬車馬の如く走らせるのではないでしょうか。
それを良しとする人。
嫌だと思う人。
個人の自由です。
ただ、
それだけが全てではないでしょと
提唱したいだけです。
どんな思想や理念を
描いているかは人それぞれなので
こんな捉え方もあるよと言いたかった。
それだけです。
今回はこれまで。
ありがとうございました。
びょーどる